修猷山脈 【緒方 竹虎】

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 中野正剛とは修猷館、早大、朝日新聞記者を通じ、変わらぬ親友だった。二人の性格は対照的、「動」の中野が柔道で名を馳せれば、「静」の緒方は剣道で無類の強さを誇った。昭和18年、中野が東条内閣打倒に失敗して死を選ぶと緒方は葬儀委員長を務め、友の死を悼んだ。戦後、昭和27年総選挙に福岡一区から立候補し当選した。温厚な人柄が信望を集め、第四、第五次吉田内閣の国務大臣、副総理となり、昭和29年自由党総裁に選出された。さらに、昭和30年の保守合同の中心となり、鳩山内閣の後継者とされていたが、翌昭和31年1月28日急逝した。その前年昭和30年5月多忙な中、修猷館創立記念式典に出席し、後輩に対して「日本が再建」を立派に成し遂げること、国民の独立の気魄」を取り戻すべきことを訴えた。緒方は小野派一刀流の免状を持ち、学校に「剣禅一致」の境地を表す「心外無刀」の額を贈っている。
(修猷館 二百年の青春 読売新聞福岡総局編より)


「心外無刀」


修猷館5年生の緒方竹虎


昭和29.11. 緒方竹虎 自由党総裁決定す。