平成12年の早稲田大卒業式。総長の奥島孝康は式辞の中で、玄洋社の系譜に連なる早大出身の政治家、中野正剛を取り上げ、約1万人の卒業生に語りかけた。 「徒党を組んだり、付和雷同したり、大会社にぶら下がったり、権力者に擦り寄ったりするのではなく、各自が個を強め、孤立を恐れず、自信を持って21世紀の時代の扉をけ破ってください」、奥島が引用した「中野の歴史的演説」は、1942年(昭和17年)11月10日、早大の大隈講堂で開かれた創立60周年の記念講演として行われた。太平洋戦争が始まって、約1年後である。中野は熱弁を振るった。〈日本の巨船は怒とうの中に漂っている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君、自己に目覚めよ。天下一人をもって興れ〉それは、後輩たちを激励すると同時に、当時の東条英機(とうじょうひでき)内閣への批判の意味が込められていた。学生たちは起立し、校歌を合唱してこたえた。中野の演説を聞いた学生たちの多くは、やがて学徒出陣などによって戦地で命を落とし、中野もこの演説からほぼ1年後の43年(昭和18年)10月21日、倒閣を策した容疑で連行され、同月27日、東京・代々木の自宅で自決する。
(読売新聞「人ありて~頭山満と玄洋社~」第1部⑨より)
「正義克勝」
中野正剛
中学修猷館4年生時代の中野正剛
中野正剛の銅像
(福岡市中央区今川)
中野正剛の銅像
(福岡市中央区今川)