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今日は卒業式でした。昨夜来の雨も上がり、卒業式に相応しい晴れ天気となりました。 多くの来賓、保護者、卒業生にご来校いただき素晴らしい卒業式を行うことができました。有り難うございました。 【式辞】 【答辞】 【送辞】 |
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| 【式辞】 この百道の里にもまた春が巡って参りました。暖かな春の光が万物に降り注ぎ、今まさに草や木を一斉に芽吹かせようとするこの佳き日に、県教育委員会をはじめ、ご来賓・保護者のご臨席を賜り、平成十九年度第六十回卒業証書授与式を挙行できますことに対しまして、心より感謝を申し上げます。 また、平成十年より始まり、十年の長きにわたった校舎全面改築もこの講堂の完成をもって全て終了しました。今日の卒業式をこの新しい講堂で執り行うに際し、講堂の両側に掲げられている写真についてまず触れさせて頂きます。修猷館再興にご尽力をいただいた黒田家第十一代藩主長溥公、第十二代藩主長知公、ポーツマス条約締結の功労者であり帝国憲法制定の起草にもかかわられた金子堅太郎伯、さらに夏目漱石『坊ちゃん』に登場する山嵐のモデルともいわれる初代及び第四代館長隈本有尚氏並びに歴代の館長に見守られていることへの深い感慨とともに改築にかかわっていただいた全ての方々に改めて感謝を申し上げます。 さて、今から百年前ドイツの生物学者であり、哲学者のエルンスト・ヘッケル(1834年- 1919年)は、それぞれの動物の発生が、その動物のたどってきた進化の過程を簡略化したものになっている『反復説』という仮説を発表しました。 人間の受精卵は子宮の中で胎児へと成長(=個体発生)する過程で、ある時期には鰓(えら)ができ、まるで魚のような形になり、次いで手足が形成され、最後に尻尾が退縮していくという変化をたどります。その様子は、まるで単細胞生物から多細胞生物へ、そして魚類から両生類・爬虫類的な段階を経て哺乳類に到達するという、まさに生物進化(=系統発生)の三十八億年のプロセスを、二百八十日という短期間のうちに「反復」し取り込んでいるようにも見えます。 同じように、一人の人間の精神的な成長が、人類全体の精神史・文化史・文明史の発達過程をそのまま繰り返し取り込むことによって為され、更にいえば生徒諸君のこの修猷での三年間は、修猷二百二十年の歴史を凝縮した濃密な時間を体内に取り込む期間だったともいえるでしょう。 思い起こせば、修猷館合格、そしてその直後の福岡を襲った地震で新しい体育館二階の天井が落ち、急遽一階の多目的ホールで実施された入学式、その喜びも束の間、先輩による応援歌指導に、頭頂から足先まで二百二十年という垂直軸に刺し貫かれ自らの足下を揺さぶられた一年生の四月、それからは毎日朝早くの課外から始まる七時間の授業、放課後さらには土日休みなしの部活動、定期考査、実力考査、校外模擬試験、六月の大文化祭、七月のクラスマッチ、八月の研修旅行、九月の大運動会、一月の予餞会、二月の十里踏破遠足。一年から二年、二年から三年と時間空間の螺旋階段を上がって今ここにいるのです。 修猷の一つ一つの行事の背景には長い歴史があり、先輩方が営々と築いてきた文化がありました。しかし、この歴史という大海から様々な大波小波が押し寄せ、自らの存在基盤である揺るがぬ足下さえ浸食され、飲み込まれ息絶え絶えの日々もあったことでしょう。個人史としての十八年間が、修猷史としての二百二十年とぶつかり鬩(せめ)ぎ合い、そして完全に同化し、一体化し、誇り高き修猷人として飛翔する瞬間、それが今日この時この瞬間でありましょう。 フランス語にノブレス オブリージュ(noblesse oblige) という言葉があります。もともとは「貴族の果たすべき義務」という意味ですが、最近では、企業のトップや政治家を含めて社会のリーダーたらんとする者は、自らの資質・能力を、当然のことながら国家・社会のために役立てる義務があるという意味で使われています。 修猷の歴史は、藩校時代にあっては、藩を担う人材の育成。明治期にあっては、福岡県を担う人材、そしてこの現在においては福岡県のみならず日本を担い、世界に羽ばたく人材の育成を教育的指針としてきました。それゆえのこの教育環境でありましょうし、そこで学ぶ、学んだ一人ひとりにはそれゆえにノブレス オブリージュとして高く、深く、そして重い責務があります。 卒業生諸君は、常に天空に輝き、人々の指針を示す六光星を胸に抱き、修猷で培った「世のため 人のため」に尽くす高い志を持って堂々とした人生を歩んでいってほしいと強く希望しています。 保護者の皆さま、子どもさんのご卒業おめでとうございます。多くの子どもさんが生まれたのは平成元年で、平成とともに歩んだ子どもたちです。誕生以来の嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、苦しかったことなど様々なことが走馬燈のように脳裏をよぎっていることでしょう。政治、経済を含め国の内外には未だ暗雲が立ちこめ不安な情勢ですが、きっとこの若者たちがこの暗雲を吹き払い輝かしい未来を切り開いていってくれるものと確信をしています。 最後に、改めて来賓、保護者の皆さまには、これまでの学校に対する物心両面にわたるご支援に深く深く感謝を申し上げ式辞といたします。 平成二十年三月一日 福岡県立修猷館高等学校長 中嶋利昭 |
| 【答辞】 穏やかな春風が新しい季節の到来を感じさせる今日のこの佳き日、このように立派な講堂で大勢の方々に囲まれて卒業の日を迎えられたことを、心から感謝します。 三年前、福岡に大きな被害を及ぼした西方沖地震から18日後の4月7日、私たちは六光星の輝く真新しい制服に身を包み修猷の門をくぐった。あの日から今日まで、私たちは本当に多くの人たちに支えられてきた。この答辞を、今まで出会った全ての方に届けたいと思う。 入学して間もない頃、今はもう無い第二体育館で私たちは先輩方と初めて向き合った。当時の私たちは、勿論修猷生として背負うものの大きさなど到底分からず、ただ、がむしゃらに先輩達についていった。応援歌指導に始まり、文化祭、運動会、予餞会そして十里遠足。ほんの少ししか年の差はないはずなのに、先輩達の背中は本当に大きい。私たちに投げかける言葉の一つ一つに重みがある。失敗をしても全てを受け入れてくれる。そして何より、この修猷を、仲間を愛していた。そんな先輩たちが去り、私たちもこの修猷を担う立場になるのだと感じ始めた。私たちも先輩たちのようになれるだろうか。不安や戸惑いは勿論あった。だけど同時に、こうも感じていた。「仲間がいるから出来る」こうやって私たちの最後の一年は動き始めた。 多士済々――私たちの学年は個性的な生き方を貫いている人が多い。文化祭や運動会も、皆の意見がなかなか纏まらないこともあった。一人一人が必死だったし、一人一人が高みを目指して頑張っていたからだ。朝早く学校に来て作業をしてもなかなか捗らないこともあった。話し合いが険悪なムードのまま終わってむしゃくしゃしたこともあった。だけど、不思議なことに、今ここから振り返って思い出すのは楽しかったことや嬉しかったことばかりだ。自分たちで一から作った映画が新聞に載ったこと、自分たちの劇を観て泣いたお客さんがいたこと、自分たちが苦労して作り上げた機械がスムーズに動いたこと、そんな文化祭の思い出の数々。そして照りつける夏の太陽の下、全力を傾けた運動会。蒸し暑い二体で声を嗄らした応コン練習。砂まみれになりながら暗くなるまで頑張ったフィールド練。そして迎えた運動会当日、7ピラが立った、ダンスのふりが揃った、顔をくしゃくしゃにして叫んだ、挙げればきりがない。なんでこんなに私たちの三年間は思い出で溢れているのだろう?それはきっと、私たちが自分の小ささを感じながらも、精一杯自分を越えようとしたから。私たちは決して忘れない、仲間と一緒に心から笑い合えた、今はもう戻らないあの日のあの瞬間を。 時が流れ、その高揚感と達成感を胸に、私たちはそれぞれの進路へ向かって新たな一歩を踏み出した。 今日を境に修猷は後輩たちが作っていく。今、君たちの心は修猷の伝統を背負う不安で一杯だろう。だけど、何も怖がることはない。何故なら、伝統とは先輩たちが考えもしなかったことに挑戦しようとする姿勢そのものだからだ。修猷の歴史は、君たちと同じ修猷生が不可能に挑戦することで形作られてきた。今君たちが歩いていく「猷」が、新たな修猷の伝統になっていくのだから。もう何も恐れることはない。仲間を信じて、自分を信じて、この修猷を君たちの色で染めていって欲しい。 私たちが素敵な三年間を過ごしている間、世界では貧困や紛争などで多くの命が傷つき、また奪われていった。人類が一瞬の享楽を得るために、環境破壊は進み、多くの生物種が絶滅の危機に瀕している。人々は時代の閉塞感の中で生活している。私たちは今まで、本当に恵まれた環境の中で育ってきた。空を見上げても飛び交うミサイルは見えないし、常に命の危険に晒されている訳でもない。 だからこそ、私たち一人一人が挑戦することをやめてはいけない。何かが出来るからといって一人の為に全てが出来る訳ではなく、何も出来ないからといって一人の為に全てが出来ない訳ではないからだ。有名大学に入って、一流企業に就職し、出世する。確かにそれだけで十分幸せな生き方なのかもしれない。だけどこの修猷が教えてくれたように、大切なことは他にも沢山ある。友達が泣いていたら一緒に泣いてやれる人間。友達が大喜びしていたら素直におめでとうを言える人間。そんな人間に、私たちはなりたいと思う。 私たちは本当に恵まれた環境にいる。大人が平気で嘘をつく時代に、私たちは心から信頼できる先生に出会えた。受験の知識だけでなく、一人の人間として大事なことを、先生方は私たちに教えてくださった。また、家に帰るとそこには安心できる温かい場所があった。時には、勉強や部活動で悩んでいる私たちを励まし、黙って話を聞いてくれる家族がいた。先生方や家族の皆が私たちを受け止めてくれたからこそ、三年間歩き続けることが出来ました。本当に、ありがとうございました。 最後に、三年間共に過ごしてきた仲間たちへ。 この三年間、思い起こせば本当に色んなことがあった。皆と一緒に最高の大文化祭や、一生の思い出になる大運動会ができて本当に嬉しかった。 だけど一番嬉しかったことは、何の変哲もない普通の毎日を、皆と一緒に過ごせたことだ。朝早く学校に集い、必死に机にしがみつき、休み時間にはつまらないことで盛り上がって放課後は部活動や行事にそれぞれが一生懸命に活動した。たまの休みには一緒に遊びに行ったり、将来の夢や学校の事を語り合ったりした。「また明日」の挨拶で今日が終わって、次の日学校に来ると、皆がいる。今なら分かる気がする。そうやって400人で積み重ねてきた一日一日が、どれ程大切なものか。どれ程貴重なものか。今ある全ての思いをこめてこの言葉を伝えたい。三年間、傍にいてくれた、共に歩んでくれた仲間たちよ、本当にありがとう。 六光星の輝きに導かれて歩んできたこの三年間。この学舎を巣立とうとする今、深甚なる感謝の意を捧げたい。 ありがとう仲間たち、ありがとう修猷、私たちを育み支えて下さった全ての方々、本当にありがとうございました。 平成二十年三月一日 福岡県立修猷館高等学校 卒業生総代 浅部あゆみ |
| 【送辞】 幾分寒さも和らぎ、春の気配を感じる今日、先輩方が御卒業という夢への新たな一歩を踏み出されますことを、在校生一同心よりお祝い申し上げます。 ここ修猷における三年間、先輩方にはそれぞれの物語があったことと思います。今まさに、六光星の下で共に学んだ友との思い出の一つ一つが光を放ち、輝いて見えることでしょう。その感慨がどれほどのものであるのか、私達にはとても想像もつきません。 入学以来、私達の前にはいつも先輩方の姿がありました。売店や食堂で会うとにこやかに話しかけてくださる先輩、放課後一心に机に向かって勉強する先輩、部活動に打ち込む先輩、そして、様々な機会に修猷について真剣に語る先輩。優しさと明るさの中に情熱と厳しさを兼ね備えた先輩方から私達は修猷生であることを学んだような気がします。特にこの一年間の、最高学年としてのご活躍ぶりは私達の目にしっかりと焼き付いています。 今は解体されてしまった二体で開会式の行われた大文化祭。文化祭へと向かう修猷には文化祭を背負う者としての先輩方の気迫が満ちていました。静まりかえった企画検討会…一、二年のクラス企画に対する「その企画で何を伝えようとしているのか?」という先輩の質問は、文化祭に対する強いこだわりであるとともに、「本気で考えているのか?」という後輩に対する厳しい叱責でもありました。妥協を許さず、議論に議論を重ね、厳しい日程を守って準備が進められ、当日私達が目にした三年生の企画は、クラスの本当の団結がなければ不可能な、素晴らしい展示と感動的な演劇でした。教室、応コン階段、多目的ホール、ピロティ…修猷館のすべてが修猷生の活気に包まれたあの日、先輩方はそのなかで、困難を乗り越えた喜びと達成感で満たされた、晴れ晴れとした笑顔を浮かべていました。 修猷の夏の象徴である大運動会。ブロック集会や全体練習で溢れんばかりの思いをぶつける先輩、タンブやダンスを通し背中で語る先輩、また、二体下から多目的ホールへ休む間もなくパネルを運ぶ先輩、裸足で走るグランドの小さな石を黙々と拾う先輩、様々なの姿がそこにはありました。一人一人、表現は違うけれども、その根底には運動会を成功させようという執念と、私達を導こうという意志を感じることが出来ました。中でも、自分にふさわしいやり方で全力を尽くせばよい、そう覚悟を決めて、自分の役割に黙々と徹する姿は、私達にも先輩方に負けない運動会が出来るのだという勇気を与えてくれました。閉会式後に、先輩方の流す涙は美しく、抱き合い、肩を叩き、共に喜びを分かち合う光景がどれほどの者に深い感銘を与えたことでしょう。まだ熱気の残るグランドで一枚一枚取り外されてゆくバックや解体されるテントを見ながら先輩方は何を感じていたのでしょうか。 「私達が感動を受けたのは、先輩方の残された輝かしい功績でも、先輩方が体験の中から掴み取った結論の言葉でもありません。いつも私達の目の前で躍動していた先輩方の姿に、その時その時の先輩方の懸命な姿の中に、私達は熱い思いを感じていました」これは先日の予餞会で私が送らせて頂いた言葉です。先輩方はいつでも心の底から湧き上がる思いを、臆することなくありのままの形で見せてくれました。耳を澄ませば聞こえてきそうな心の鼓動を感じ、私達も自らの胸に火を灯すことが出来ました。今、修猷は文化祭の移行を始め、様々なところで大きく変わりつつあります。明日の修猷を担う者として、私達後輩は先輩方のように正面からありのままの姿で壁にぶつかっていこうと思います。そして、先輩方の灯してくれた修猷の魂の火を絶やすことなく次の代へと受け渡していきます。 昨今、日本にとどまらず世界の未来のいたるところに暗雲が立ち込めてきています。物が氾濫し、人々の心からあるべき正義の形が失われ、自分のために言い逃れをする。そんな人心の荒廃が叫ばれても、なお改善の兆しは見えていません。こんな時代だからこそ「世のため人のため」をかかげる修猷館に、修猷生に求められているものは多くあるように思われます。今、修猷を巣立つ先輩方には多くの困難が待っていることでしょう。しかし、先輩方の背中を追い続けてきた私達は信じています。先輩方はどのような壁にぶつかってもあきらめず、必ず乗り越えていくと。友のために全力を尽くし、後輩のために全力を尽くして、感動と勇気を与えてくださった先輩方が、今度は世の中で修猷館の精神を実践されていくことを心から期待しております。先輩方、どうか日本の、世界の暗闇を照らす輝かしい星となってください。先輩方のこれからのご活躍を祈念いたしまして送辞とさせて頂きます。 平成二十年三月一日 在校生代表 齋藤宏章 |