修猷館の名は 『尚書(書経)』 の一篇「微子之命」の中の「践脩厥猷」を典拠とする。
「践脩(修)厥猷」は「厥の猷を践み修む」と読み、「その(成湯の偉大な)道を実践し修める」ということである。「微子之命」は、周の成王が微子 を宋の国に報じた時の誥命であり、殷の祖である成湯(湯王)の猷を修めて有徳の誉れ高い微子に、永く殷の祭祀を継承させようとしたものである。
原文は次の通り。
「 嗚呼、乃祖成湯、克斉聖広淵。 皇天眷佑、誕受厥命。
撫民以寛、除其邪虐。 功加于時、徳垂後裔。
爾惟践脩厥猷、旧有令聞。 ・・・・ 」
嗚呼、乃の祖 成湯、克く斉聖広淵なり。皇天眷佑し、誕に厥の命を受く。
民を撫するに寛を以てし、其の邪虐を除く。功 時に加はり、徳 後裔に垂る。
爾 惟れ 厥の猷を践み脩め、旧しく令聞あり。・・・・
ああ、汝の祖である成湯(湯王)は慎み深く賢明で度量は広く物事に通じていた。そこで大いなる天はそれを助け、(成湯は)天命を受けた。民を寛大な政治によって治め、(桀の)悪虐を除いた。功業は時にいや増し徳は後世の子孫にまで及んだ。汝はその成湯の猷をふみ行って、久しく立派な評判がある。・・・・